2006年07月03日

川はぜの佃煮と長野の食虫文化

「はぜ」って言うくらいなんだからまあ魚なんだが、昨日の日記で紹介したものと揃いの缶だったのだが、わざわざ別にしたのはこれだけは魚類だったせい。

画像 008.jpg

「川はぜ」
昨日のアレらな食べ物に続いてコレが出てきたときは「久々にマトモなもんが出てきたな」という感想が漏れた。普通に食卓にあがってくれば「川はぜ?なにソレ!?ええー?」な感想も出たろうに、前後にシュールストレミングや臭豆腐、ざざむしなんぞが出たせいで影の薄くなった川はぜには同情の涙を禁じえない。「勝てば官軍、負ければダボハゼ」なんて揶揄言葉に使われるほど昔の川ではハゼはじゃんじゃかアホのように釣れる存在だった。川はぜとダボハゼは別モノだが、まあ今の川に少なくなったことに変わりはない。昔懐かしいハゼの味を懐古できる。

(※「勝てば官軍」の正式なくだりは「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。なにがどうなってダボハゼバージョンができあがったか定かではない。)

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さて昨日の記事を書いていて色々と興味が出てきたのが長野における食虫文化。長野には「食虫文化を守る会」というのが実存するのだが、食虫文化と言えば長野、というほど長野と虫食いの結びつきは深い。
昨日ちょっと触れた、長野は海から離れているがために、大昔はなんらかの栄養素が足りず、それを虫で補っていたのではないか、といういまどき幼稚園児でも思いつきそうな持論を考えつき、得意げにそれをネットでいろいろ調べてみたのだが、検索がへたくそなのかなんなのか、まったく見当たらない。去年一年間まるごとをほぼ長野の山中で過ごしていて思ったのだが、長野県、とにかく食べ物が偏っている。山菜や馬肉、野菜などは非常に美味だし、たくさん獲れるのだが、こと魚介類、牛肉などの味はあまりよろしくなかった(と思う)。長野県は本州のど真ん中にあり、海からは遠く離れている。長野の千国(小谷村)というところに「塩の道」というものがあるのだが、これは江戸時代に新潟県の、海に面した糸魚川という場所から歩いて塩を松本にまで運んだ道で、当時の長野県民にとっての命綱みたいな道なんである。有名なのが「敵に塩を送る」のことわざにまでなった、1567年の塩止め事件。当時、信濃と甲斐(今の長野と山梨)を牛耳っていた武田信玄は駿河(今の静岡)の今川義元の領地へ進出を企て、それにむかついた今川は、相模(今の神奈川)の北条氏康に協力を仰ぎ、東京、神奈川からの塩の流通を差し止めさせた。今でいう経済制裁である。塩が送られてこず、領民は苦しむことになった。大変!塩がないと長野名産物の信州味噌も作れません。なんとかしろ田中康夫!そんな領民の苦しみをみて援軍を出したのが越後(今の新潟)の上杉謙信。当時、上杉と武田は敵対していた間柄だったのだが、領民の苦しみとそれはまた別、と義を重んじ、糸魚川から松本への塩と魚介類を送る塩の道を作ったというお話がこのことわざの語源なのだが、つまり長々となにが言いたいかというと、長野は「魚が手に入れにくい」「雪の季節が長いため保存食料の傾向がある」「馬肉以外の肉が少ない(牛、豚は高山地域、寒さに弱い)」ということ。アミノ酸、たんぱく質、ミネラルの摂取に非常に弱いのだ。虫に含まれる栄養素は、まるでそこの穴をきっちり埋めるに当てはまっている。ミネラルも、アミノ酸も、たんぱく質も非常に豊富である。雪のシーズンに備えて、貴重な塩を使わずに作れる佃煮(しょうゆは使うけどね・・)、加えて松本は盆地のため夏における食べ物の腐敗の早さゆえの保存食の多さ、これが今も根強く残っている長野の食虫文化の理由なんじゃないだろうか。いや、もしかしたらものすごい当たり前な話で、私が検索下手なだけなのかもしれないけども。

余談だが、長野と同じく当時の武田領だった山梨と長野の県境に位置する浅間山が天明3年に噴火した際、長野、山梨を主として全国区に大飢饉が襲ったのだが(俗に言う天明の大飢饉)、そういえば飢饉でも虫はたくさんいるよなあ・・・これも関係あるのかな。天明の浅間焼け(この噴火のことをこう言う)のせいでフランス革命さえも起こったわけなんだが、フランスでは当時、上流階級の人間でもバッタを食べる食文化があったそうで。これは関係ないか。

もうひとつ余談なんだが、一昨年、山梨と長野の県境にある清里村へアルバイトに行ったときに、清里村の開拓者であるポール・ラッシュ氏がまずおこなったのがジャージー牛の取り入れ。日本の牛はここらへん一帯の高山地域ではうまく育たないため諦められていたのだが、そこに寒さに強いジャージー牛を連れてきたことで大幅に食文化が変化したそう。いまでも清里のウリはおいしいジャージー牛乳なのだが、さて、環境条件は(長野との県境なだけあって)長野とほぼ変わらない。長野にはアメリカ人宣教師がジャージー牛を連れてきてくれなかったぶん、食虫文化が発達してしまったんだろうか。

昨日虫を食べてしまったせいで、流れ的に貴志佑介の「クリムゾンの迷宮」を再読したのだが、オーストラリアでは虫は緊急食物としてでしか食べられていない様子。ブラック・ボーイ(グラスツリー)という木の根っこにいるウィチェッティ・グラブ(コウモリガの幼虫)などは美味な珍味として名高いそう。毛虫、芋虫、柄のはでな虫以外はほぼ食べても大丈夫、と書かれているということは、オーストラリアなんぞよりもよほど無害な虫ばかりの日本ではさらに食べられる虫が多そうだ。
昨日と今日の一連の記事のおかげで勘違いをされそうなので一応書いておくが、私は本来、ちょうちょでさえ触れられず、5本以上の足の生物は直視さえ避けるほどの大の虫嫌いである。

(追記)
小泉武夫著「不味い!」のなかの「不味い虫」という項目に、現在地球上で、生きるために虫を食べている民族はアマゾン奥地、砂漠、高地地帯あたりにいるという記述があった。虫をいまだに生きるために食べている民族のほとんどが海から離れていることに注目したい。 (2006/07/05)

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どれも歴史的根拠になぞらえた話ではないので、実際食虫文化の理由がそれなのかどうかはさて置き、塩の道ルートでも、浅間山の噴火の際に消失した現・鎌原村でも、清里村でも仕事をしておりまして、歴史的なお話に関しては一応事実に基づいてるので、へーそういう理由かもしんないね、程度にお楽しみくださいまし。
posted by さくらこ at 00:00| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 魚介の珍味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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