
2年前のちょうど25日は出産予定日で弥栄ダムに散歩なんかにも行ったりした。私は元々ものすごく神経質で(後々わかるのだが音に対して敏感なのもあって)子供が大嫌いだった。仕事ばかりで生きてきて、30歳頃には飲食業をしていたのも相まって、存在そのものがうっとおしかったし、子連れの母親の愚鈍な対応なんかにもいちいちイライラしたものだった。一人っ子だったし、音や子供の行動に慣れがなかったのもある。
そういう人間がいざ親になってみると、まわりの子供のいない人間の気持ちなんかが過剰に理解できるぶん、気を使いすぎて外出をすると神経をすり減らしてばかり、まわりから見た私は、神経質にキリキリ子供を叱り飛ばす、妙に謝ってばかりの変な親なんだろう。好き勝手に生きてきたぶん、私には対人スキルがない。結婚後、仕事を辞めてからというもの外とろくに触れてもいない私は、独身の頃よりも圧倒的にネガティブでトーク力も落ちた。そこへ子供ができて、成長するにしたがってママ友だのコミュニティだの輪だの、慣れぬ世界へムリヤリ入ろうとした挙げ句に苦手なことをしようとした跳ね返りがきて、体調を壊した。八方塞がりだ。私は全てに疲れ果てた。
妙な言い回しだが、文字や学業は私に逆らわない。仕事も、やったらやっただけ評価をされる。何かを得たければ自分が秀でればいいだけの簡単な世界だと思う。職場というのは、仕事ができる人間には誰も逆らわない。どんな変な人間であろうと、仕事ができるというそれだけで、誰も妙な顔はしないものだ。対人スキルがゼロの私でもラクに生きてこれた。仕事さえ人よりこなせればいいだけなのだから。
でも子供はそうじゃなかった。子供を取り巻く世界もそうじゃなかった。どれだけ自分ひとりが秀でても、過去にどれだけの功績があっても、そんなものは関係がない。自分ひとり頑張ったって子供はそこについてくるわけではなく、自分のしたいことをしたいようにするだけの生き物だ。いくら私が常識を振りかざして「それをするとこういう理由で怪我をして危ないのでするべきではない」と言っても聞きはしない。1歳半を過ぎた我が娘は、こちらをチラと見ながら、わざと私が嫌がる、してはほしくないことをするようになった。イヤイヤ期では、どこの子供もそういうものだというのだから驚く。そしてどれだけ怪我をしても、またそれを繰り返す。何度も何度も繰り返し、外出をすれば痛い目に遭ってときどき病院に駆け込むはめになる。肉体的にも精神的にも疲れ、私はどんどん外には出たくなくなる。外に出れば、苦手な人間関係も待っている。我が娘の怪我だって待っている。出なければいいのだ。でも子供は外に出たがる。そして私は、子供に外を見せたいともまた思うのだ。矛盾が頭と身体を占めて引き裂かれそうな気持ちにさえなる。


ちびが生まれてすぐのうさこ。
大好きなパパを取られヨヨと泣き崩れたり(写真上)、
気にしていないふりをしながらチラチラとまわりをうろつく(写真下)。
いろいろとショックだったろうに、臨月や陣痛時は私に気を使い、
産後はちびこを大事に大事にしていた。
それも、2歳ごろにはだんだんと「ちびより自分を構って!」と意思表示し始める。
子供を育てていて思うのは、我が娘には私のような、対人スキルゼロのクズ人間にだけはなってほしくないということ、そしてテレビやニュースで流れる、借金や殺人やばかなことをしでかす大人、自殺未遂などをして他人の気をひこうとするばかな女、どうしようもないクズ男に貢ぐ女、妙な男に騙されるような女、そして本当に、自殺なんかしてしまうような人間になってしまわないかという不安との戦いだ。どこでどう育て間違えるとそうなるのか、毎日毎日、子供の変化や性格、言動を見ては、不安になる。私のような人間に育てられて、まともに育つのだろうか。私のような、対人スキルがゼロのまま、勉強と仕事と好きなことだけに没頭して人を傷つけてばかりでワガママに生きてきた人間が、人をふたり、マトモに育て上げることが本当にできるのか。
妊娠中の日記を読むと、そこには毎日毎日、「もしも子供になんらかの障害があったら、なんらかの病気を抱えて生まれることがあったら」とばかり書かれている。妊娠中も無事に生まれてからも、そして最も不安定な0歳代を抜けて1歳を迎えてからも、私は常に不安との戦いである。そしてそれは、多くの母親もきっとそうなのだろう。自分の一挙一動が、全て子供の身体の無事や性格形成に繋がる、それそのものが不安であり、恐怖でもある。気がおかしくなりそうな日々である。現にこの2年で、私はずいぶんストレスと産後の体調不良から身体を壊した。こなしてもこなしても、次から次に試練と気苦労が来る。
それでも、私のような人間嫌いでもクズであろうとも、
子供を産まなければよかった、とは一度も思わなかった。
子供がいないほうがよかった、とも一度も思ったことがない。
手を上げそうになり、怒鳴り散らして後悔をし、人付き合いにイヤになり、
それでも、やっぱりうさこがいてくれてよかったと
今も、当時も変わらずに思っている。
このまま、何年経っても、変わらずにいられたらいいと思う。
子育ては奇麗事じゃないです。
FBに載せられるような可愛らしい、デコった画像のような世界ではないけれど、
私はやっぱり、この子がうちに来てくれてよかった、と、
変わらずに思っています。
誕生日おめでとう。
あまり友達を作ってやれない、友達の少ない母親でごめん。