
3日くらい前から前駆陣痛がはっきりと始まり、出産前日に頻繁に起こるようになった。
この週は旦那が春闘で午後出勤だったため、出産前日も朝から公園を8000歩散歩をし、
昼は「食道園」でランチ焼き肉を食べてオロナミンを飲むという、ジンクスのオンパレード状態。


夜は前駆の間隔をはかるために横になると落ち着いてしまうため、陣痛に繋げたくて
録画していた大人のピタゴラスイッチやアイアンシェフを旦那と見ながら
アイスを食べつつ部屋を歩き回った。昼寝をしなかったうさこは夕飯後には寝てしまい、
私はゆっくり風呂に入ることができた。
3月15日(金)
予定分娩をするはずだった日よりも数日前。
翌朝、6時に目をさまし、散歩がてらひとりでファミマにでも行くか、とスマホをいじくっていたら
6時半から10分おきに生理痛くらいの痛み。メモをとりながら荒川アンダーザブリッジを読んでいたら、
間隔は11分だったり4分だったりするものの痛みは珍しく消えず、
8時まで続くようなら旦那親にうさこを迎えにきてもらおうか、と旦那と話す。
8時15分くらいに旦那親にうさこのお迎え要請をし、病院に電話をすると
念のためすぐに来るようにと言われる。
この時点で、たまたま今週いっぱい春闘で昼過ぎ出勤だったはずの旦那は休暇を取ることにした。
9時過ぎには強めの生理痛くらいになり、間隔はまばらなままだけど今までとは
明らかに様子が違うため、旦那も私も用意やうさこの食事や、陣痛の合間に
私の簡単なシャワーなどでバタバタしはじめる。いつもなら私から離れないうさこが
黙って旦那のそばにいて、私が陣痛に耐えてるところへは邪魔をしにこない。
荷造りをしていると、カゴに自分のおもちゃをいろいろ詰め込んで玄関にスタンバイしていた。
私が痛みでうずくまると、どうしていいのかわからない顔でじっと邪魔せず見ていた。
うさこの、この今までにない悟ったような行動は、おそらく生涯忘れることができないだろう。
1歳半は1歳半なりに、いろいろ理解をし、自分なりにできることを考え、我慢をしたりもするのだ。
口ではまわりに「イヤイヤが始まって大変」だとかぼろくそ言ってはいるが、
妊娠中にうさこの聡さや我慢に、何度も何度も救われ、助けられてきたことは事実だ。

35分には旦那親到着、車にうさこの荷物を詰めてうさことはここでお別れ。
いつもなら少し離れると泣くのに、
泣かずにじっとこちらを見ながらチャイルドシートに乗せられていた。
10時に病院着。陣痛室に行くとこの時点で子宮口が4〜5センチ。
陣痛の痛みは、やはりかなり強めの生理痛くらい。痛くて声は出るし歯もくいしばるが、
前回よりはかなり痛みが弱い。冷静になって呼吸法をしっかりこなせば確かに痛みは抑えられる。
前回は大パニックだったし呼吸法どころじゃなく、ヒーヒーフーの合間に呼吸が乱れに乱れて、
呼吸に集中して痛みを逃すこともできず、かろうじていきみを逃せたくらいだった。
子宮口の開きは50分くらいおきに5〜6センチ、7〜8センチになり、
9センチと言われたあたりで医師が来た。13までには生まれますよと言われたのが12時45分。
ただ、いきんでくださいと言われてもあまり痛みがこない。
モニターでは陣痛の波が来ていると言われたが、実際そんなにいきんで踏ん張るほどの痛みじゃない。
で、中途半端に痛いだけなので、つい息を逃してしまう。
13時までには、と言われたがなんだかんだでいきめず、気分的にもダラッダラで、
子供の頭が出たあたりで、頭が出てることに対してのあまりの痛みにようやくやる気を出していきむ。
ここでも無理にいきまないとどうにもならない。
うさこのときは陣痛が死ぬほど痛くて自然に全力でいきめたのに、
今回とはなにからなにまでまるで違った。
結構頭が出て、半端なく痛くて叫びまくって二回いきんだところで陣痛が去りかけ、
医師が「続かなかったら無理せず次を待ってもいいですよ」と言っていたんだが、
待てるかふざけんな!ってくらい(頭が出てるのが)激痛で激痛で、文字通り死ぬほど痛くて、
陣痛なかったけどむりやり踏ん張って最後まで出した。ら、出ました。
おかげで会陰裂傷。びりびりのばりばり。
母子手帳の出産時状態にまで書かれるくらいの裂傷。
ちなみにこの「いきむ」とか「陣痛の波」は、例えるのにいちばん近いのは激しい下痢痛だと思う。
下痢痛の最中にぜひ思い出してほしい。腹がいたくていたくてたまらないときに、
(汚い話で失礼)通常であればウンともスンともいわない頑固なウンコも、
下痢痛の波がくると痛みのピークでふんばって勢いで出せるんだけど、これが「いきむ」なんですよ。
痛みの勢いで強くふんばれる。出産時の陣痛は、これとほぼ同じです。
痛みのレベルはまるで違いますが。

さて、激しい会陰裂傷。切らずに伸ばす出産、できるだけ薬を使わず帝王切開を避け、
自然分娩推奨の病院みたいで、切ってなかったみたいなんだよね。くっそ。
でも不思議なことに会陰を切った前回は縫い痕が当分激痛でしたが、今回はそこまでじゃない。
そのかわり後陣痛が、かなり痛い生理痛くらいありました。
経産婦は後陣痛が初産よりも激しいそう。
産後すぐおなかを押されて胎盤を出す。前回はここで死にかけた。
胎盤がはがれずに医師に手をつっこまれて探られ、自分でもわかるくらいのドバドバ大量出血。
水で中を洗ってるのかと最初は勘違いしたくらいの量で、血圧も脈も下がって助産師さんや
医師がまた大量に戻ってきて意識不明、輸血、とまあロクな思い出がない。
で、そのときのことを1年半ぶ りにリアルに思い出してしまい、
手足がガクガク震え出して無駄に泣き叫ぶ。いや、だってあんときまじであの世に行きかけたんだぞ。
意識がなくなるとき、ああ、これが死ぬってことなのか、と思ったんだぞ。
めちゃくちゃぶるぶる震えて取り乱していたら、「今回はつるんときれいに胎盤でたよ」と医師の声。
「出血もすごく少ないし」確かにふらふらしない。
ちなみに産後すぐにベッドに座って何かの書類に記入できたし、
分娩室で2時間安静に寝たあとはわりと普通に歩くこともできた。
前回は3日経っても部屋のなかにあるトイレまで歩くこともできなかったのに。
助産師さんに「前回は特殊すぎただけだから。今回はなにごともなくてよかったね」と言われました。
病院に着いて3時間半のスピード出産でした。超安産。会陰裂傷以外は。
あと、なぜか立ち会いに丸をしていなかったはずなのに旦那立ち会いに。
あれ?丸をしてないよね?旦那も「え?え?」みたいな顔で立ち会い。私の勘違い?
産後2時間安静にと言われている間、すごいどうでもいい会話をしました。
最近、うさこ抜きでふたりで長々と話すことなんかなかったなあ。
旦那親に預けられたうさこは、興奮からか、昼寝もせず、夜になって
旦那が「ルマン」のいちごタルトをご褒美に買って帰って食べさせ風呂に入れて寝かしつけても
まるで寝ようとせず、23時まで遊んでいたそう。
1歳半ながらに、感じるものは感じ、読むべき空気を読むのだな…と感心しきりの1日でした。

入院中の朝ごはん。ひどい。
今回は、前回のように出血多量で点滴を打たれ、母乳が出遅れたりということもないおかげで
順調に母乳が出ているようで、助産師さんが毎日乳管を開通マッサージしてくださったこともあり
一回に20、30、40と、日に日に量が増えた。
産後2日目あたりから胸がパンパンに張って熱を持ち、ひどい痛みが続いた。
氷で冷やしたりして数日痛みをのがしつつ、しばらくすると熱もひき、ひどい痛みもなくなった。
乳管を通すときの痛みは、歯をくいしばって耐えるほど凄まじい。
が、この痛みも、ひどい腫れの痛みも、半月もすれば徐々に落ち着いてくる。

入院中の昼ごはん。
天ぷら用の抹茶塩とレモンがあるのに天ぷらがない。
ひどい。
私のいた病院は、この月の末に大々的な移転があり、入院中もずっと病院の引越し作業が行われ
昼間は廊下を引越し業者がゴトゴトと荷物を運び出し、夜間は看護士さんたちが荷詰め、
乳腺が張って熱を持ち、氷をお借りした際、「タオル、引越し先にもってっちゃって足りない」
と看護士さんに言われたのは、いまだにネタとして使わせていただいております(笑)
タオルのない産婦人科て。
なんだかんだと忙しなく、妊娠中は待ち時間でイライラもさせられたこの病院ですが、
移転する前日、入院中の早朝にロビーでぼんやりコーヒーを飲みながら、
夏から通ったその妊娠中の懐かしい日々を懐かしく思い出しました。
今となっては、どれも良き思い出です。毎回診察に3時間以上も待たされたけどな。
移転作業の寸前に生まれたちびこさん、あと1日遅ければ、
移転先の病院へ、新生児たちは看護士さんに抱きかかえられて運ばれ、
患者はバスやタクシーで搬送されてゆくところでした。
「旦那のいる昼間にうまれてね」と言ったらポコンとおなかを蹴ってくれたちびこは、
ほんとうに上手に、移転前日に退院できる、旦那のいる日の昼間に生まれてくれました。
うちの子たちは、どの子も、毎回生まれてくる際は、とても間のいい子たちばかりです。
出物腫れ物ところかまわず、と言いますが、臨月は毎日ハラハラさせられましたが、
私は、子供の間のよさのおかげで助かったようなもので。