2011年09月30日

お宮参りと0ヶ月の記録。

usa10.jpg

旦那両親とうちの母も一緒にうさこさんのお宮参りに行ってきました。


写真は、写真館でお宮参り写真と、年賀状用の家族写真を撮影してもらう際、
ドレスを着てギャン泣きするうさこさん。新調したビデオカメラで撮影する旦那。
お宮参りのときに神主さんに連れていかれるときもギャン泣きしておられた。
帰るまで4時間かかりました。時間の多くは私の着付けとヘアメイク。しんどかった。



usa15.jpg

ちらりずむ

9月末で1ヶ月になりました。
生後半月で23時から朝の7時まで寝てくれるという神のような睡眠サイクル。
うんちは1日〜2日に1度。なんだか幼稚園生のようだと言われる出来のよさ。
生後すぐに点滴を打っていたせいで母乳初めが遅くなり、哺乳瓶に慣れてしまったうさこさんは
哺乳瓶に比べて中身の出の緩やかな母乳にいらいらするらしく、母乳をあまり好まず、
おかげで母乳の出が悪くなり、桶谷式の母乳外来に2度通うことになったりした。

真夜中の授乳のときは、おむつを先にしてからミルクをやると、
そのままこてんと眠ってくれるのでラクです。眠いとげっぷできないみたいで、
病院で言われたように、右を下にして丸めたバスタオルで支えて寝かせていました。
1ヶ月になる前あたりから、この支えるバスタオルが邪魔で気にいらないらしく
どかせどかせとギャン泣きし、私が動かさないでいると自力で身体をどかどかぶつけて
どかせようとする。たいていは根負けして私が動かすんですが、動かさないでいると
ずーっとずーっと腕と身体で体当たりして、しまいには自分でどかしていました。
根性ありすぎ。

おなかにいるときから足でどかどかと邪魔なもの(私の内臓な)を蹴る子でしたが、
足にあたるもの、身体にあたるものが不快らしく、布団も、上に書いたバスタオルも蹴り飛ばします。
おなかにいるときの性格って、意外と表に出ても変わらない。

この頃、ミルク以外で泣くことがないと思い込んでいたせいで、
泣くたびにミルクをやり、ミルクを100あげてもまだ泣くうさこさんを見て、
「うちの子はなんでこんなに際限なくミルクを欲しがるのか、どこかおかしいのではないか」
とずいぶん悩みましたが、この頃のミルクはある程度なら欲しがるだけあげても構わないこと、
泣いている理由がおなかをすかせている以外であったこと(抱っこしてほしい)を後日知り、
「2時間でミルクを300も飲んだ」と言って焦って泣いていたのが懐かしいです。

逆に、「うちの子はなぜミルク以外で泣かないのか、どこかおかしいのではないか」
と泣いたこともありました。うんちしてもおむつが濡れても泣かないのは、新生児なら当たり前、
また、今のおむつは出来が非常によいため、今の赤ちゃんはあまりおむつでは泣かないそうです。
バカみたいな悩みですが、ネットで検索してみると意外と同じ悩みの方が多かったです(笑)
ネットにあふれている「(初期に)ミルク以外で泣かない子、目をあわさない子は自閉症の疑いが」
という情報、あれは嘘です。新生児期〜2ヶ月くらいまではそれが普通だそう。
うちの子は、1ヶ月を過ぎたあたりから、抱っこしろ、眠いのに眠れないとギャン泣きするように
なりましたし、目もあわせてくれるようになりました。最初の頃のは、心配いらないです。

夜中に目玉がぐるんぐるんまわってて、映画エクソシストみたいでものすげー怖かったんですが、
あれは眠いときに赤ちゃんはなるそうで、新生児期は常に眠いため、常に目玉ぐるぐるするそう。
今でも眠る寸前にはなりますが、目の病気ではないそうです。
これも同じ悩みがいっぱい書いてあった。

だっこ癖は嘘だという話も存在するという話もあり、
「だっこは母子の愛情の証なので積極的にするべき、抱っこ癖がついたなら抱っこしまくればいい」
という説のほうでいくことにしました。泣いても放っておけ派もあるのですが、寂しがりな子になると
かわいそうなので。ただ、ある程度なら泣いていても放っておいて大丈夫とのことで、
家事なんかの最中にはあまり急いで抱っこしたりはしていません。

抱っこは進化します。
1ヶ月のあたりから、座って横抱きだったのが、立て!→歩け!→歌え!→タテに抱っこしろ!
に進化しました。そして座ると怒る。座っていると足をぐいぐい伸ばして、「立て!」という。
じっと立ったままだと、「うー!(歩け!)」という。面白いけど疲れるよ。

だっこしろしろ、と泣きだしたら、
うさの真横で私も寝転がり、うさの真似をして床をごろんごろん転げまわって
「うへええ!うへえええええ!(うさの泣き声の真似)」と言って泣きまねをすると
「なんだコイツは!?」みたいな目でうさが私を見ます。
泣き声は「うへえ」と「うんめー」。
「うんめーうんめー」と言われると「お前はベートーベンか!」って突っ込みを入れたくなる。


近くの公園でバーベキューオフがあったため、
初めて、うさこさんを丸一日旦那に預けたのですが、
「ずーっと1日みてたらすごい疲れるでしょ?」
と聞いたら、「別に」と言われました。
沐浴もきちんと丁寧にいれるし、うさこさんが泣いていても寝なくてもイライラしないし、
旦那は基本的に子に対して飽きない。態度も常に一定で変わらない。
子供を育てるのに向いた人とそうでない人ってやっぱり全然違うんだなと思いました。
私は全然向いてない。イラっとするし、飽きてしまう部分もある。
沐浴なんて1分とかで終わらせますよ。めちゃくちゃ暴れられるし首が据わっていないので怖いし。
ダメだなあ。

なんていうか、
普段の対人関係が、子育てにもモロに出ている、という感じ。
雑な人間関係しか作れない私は、子供に対しても同じなのね、と。
子供って自分でない人間である以上、他人なわけだから、対人関係のひとつだもんな。



以上、0ヶ月(新生児)のときの記録でした。
posted by さくらこ at 01:30| 東京 ☀| Comment(1) | 育児日記・岩国生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

生まれました。


8月31日

この日の日記は、リアルタイムでスマホからmixiにメモ代わりにアップしていたものです。
陣痛中や出産後のため、誤字脱字も多いですが、そのまま修正せずに掲載しています。
下の画像は、陣痛の間隔をメモしてたもの。ほんとに10分間隔になるんだね。


1778566490_66.jpg


02:37

破水した。

0時台にまた血の混じったおりもの。おそらくおしるし。
念のため、シャワー。
それまで不定期だった前駆陣痛が1時台にいきなり10分間隔に。
また朝には消えるだろうと想いつつ、なぜかゴミをまとめてみたり
トイレに行ったり、紙をとかしたり、化粧水をつけたり。
いま考えると、最近そんなことをこの陣痛らしき最中にしたことなかったので不思議。

2時少しに、横になって携帯をみていたら、
おなかがぱつんと音がした。ジャッと少量の水。
たった今トイレに行ったのが幸いして、すぐに破水だと気づく。
旦那を起こし、トイレに行くけど少し出ただけで止まった。
病院に電話すると、すぐに来てくれと言われる。
トイレに入ると今度は血液まじりの羊水がどばっと出る。
胎盤早期剥離かとパニックになる。
胎動もそういえばない。
産後の悪露用のでかいナプキンをつけて、バスタオルをしき、
今は車で向かってる最中。
乗ると、陣痛いきなり3分おきになる。いきなりかい!
胎動がないまま。
陣痛の最中にも携帯いじれるよ!( ;∀;)わーい


03:00

胎動ない。病院ついた。
胎動なくてなきそう。
落ち着いて書けたからまだ余裕あるかな。
でも死ぬほど痛い。胎動なくて不安やなあ。


14:22

生まれるまさた

生まれた経緯はわすれないだろうからまたかく
産後すぐ、胎盤癒着で子宮内を一時間かきまわされ
通常の三倍出血、死ぬほど痛いし、けつあつはさかり
測定不能、エラーが出て医師があわてだす。
脈拍が弱いといわれ、意識が遠のき、目の前まっくら。
あ、死ぬなって思った。
いま、とりあえず意識がもどり、部屋にはあぶないから
今日は治療質でそのまま絶対安静
酸素ボンベつけらるてる

うさは無事


(これは、胎盤癒着で難儀し、出産して数時間後に分娩室で書いたもの。
あまりにわかりづらい内容なのでちゃんとしたのを下に書いてます↓ これも当日の夜書いた。
なんだかんだ言って元気だな。)


生まれてすぐに産湯できれいに洗われたうさが新生児室に運ばれて行ってしばらくぽかんとしていたら
医師や看護師さんはいつのまにか消え、筆頭医師のみになる。
なにか言われたあと、もう一度子宮内を触る気配。
産後すぐなので痛みは最初は感じなかった。
しばらくして、ああ、胎盤を取り出すんだよな、と気付き、
マキシマムザホルモンのボーカルの女性が、胎盤を刺身にして
塩とごま油で食べて、レバ刺しみたいでうまかった話を思い出していたら
だんだん痛みがひどくなり、医師が両手で子宮内をかきまわしているのに気付く。
明らかになにかを探している。すごく痛い。痛みがどんどんぶりかえす。
聞くと、胎盤を取り出そうとしたら癒着がひどく、
大半は取れたが、まだ一部残っているとのこと。
どはどばと先程からなにかあふれでていて、
ずっと、子宮内を洗浄する水かなと思っていたら、血液だと言われた。
痛くて痛くて完全にパニック。出産時と変わらない叫び声が出る。
医師や看護師さんがまた結構な人数戻ってくる。
血圧がさがり、下が40くらいだと聞こえたあと、
何度も測定器がエラーになり、測定不能だと看護師さんが何度も言っていた。
酸素ボンベを付けられ、もしかして過呼吸ではないかと言われて外されて
ビニールをかぶせられ、違ったらしく再度、酸素ボンベを装着される。ひどい。

この間にも、子宮内の胎盤の残りを取り出す作業は続いており、
目の前がいつのまにかまっくらになってきて、それを伝えると
脈拍が弱いと右にいた看護師さんが言うのが聞こえて、
医師が、心電図を持ってきて、輸血が必要だから血液採取して、と言ってた。
すでにその時点で、左手に抗生物質の点滴、手の甲に採血跡、腕にも注射跡、
右は手の甲に点滴、腕に注射跡があり、採血する場所がないらしく
足と股関節のあたりから輸血のための採血をされた。
怖いし痛いしで、ひたすら、もうこれ以上イヤだ、とか叫んでた。
ただ、出産時もこのときも、一度も泣くことはなかった。のどが枯れるくらい叫んでばっか。

このあたりから意識がない。
次に気がつくと、出産には立ち会わない、診察時の担当女医が上がってきていた。
医師がさらに増えていて、かなり脈拍が弱いと言ってた。
エコーで子宮内の残留を調べられていた。
破片がまだ残っているらしいが、ほぼ取り除けたらしい。
破片は悪露と一緒に出るとは思うが、取れなかった場合は癒着するかもしれない、
その場合、手術になるかもと言ってた。
癒着胎盤と言って、まあ稀なケースで、原因は筋腫かもらしい。
出血は通常の出産の3倍あり、動くのは危険なので
病室へは行かず、分娩室でそのまま絶対安静でいろと言われた。
この時点でまだ目の前がまっくらで強い吐き気があるのは変わらず。
あまり記憶にないけど、ひたすら叫んでたので他にも痛いことをされていたと思う。
(たぶん会陰切開のところを縫われて、止血ガーゼを膣に詰められてた)

1770595710_139.jpg

出産して四時間くらいして、ようやく旦那が再度分娩室に呼ばれた。
これで死ぬと思ったとき、何度も旦那を呼んでと言ったが呼んでもらえなかった。
相当な出血があり危険な状態だったが回復してきたこと、
癒着胎盤を起こし、ほぼ取り除けたが少し残っていることなど説明してた。
いつの間にか医師は皆いなくなって、旦那と、運ばれてきたうさちゃんが横にいた。
看護師さんが私の横にうさを寝かせてくれるんだけど
点滴と体が辛くて動けず、真横で見ていた。
右手だけ動くので、スマホで撮影して、友人にメールをした。
私の無事が確認できたので、産後四時間でようやく旦那は親に電話をいれたらしい。
うさちゃんは大人しく、子猫のような声をたまに出す。
むにゃむにゃと口を動かして、たぶんミルクを吸うポーズなんだろう。
たまに薄目をあける。旦那にものすごくそっくりだ。
よその子はわりと母子同室でもギャン泣きしているのだが、
うさはなんだか物静かだ。旦那がだっこしても泣かない。
すごく可愛い。



19:21

胎盤早期剥離の確率は全妊婦の0.1%。
癒着胎盤は0.01%。ウィキペディア情報なので眉唾だけど。
30件に1件は死亡するらしいですよ奥さん。
そら、あの世に行きかけるわ。
出血多量で死んだり、子宮摘出になったりだって。
通常の出産の3倍の出血ってのがどれだけの量かわかんないけど、よく生きてたなあ。
理由は早期剥離と同じく筋腫らしいですよ。
かえって変形して胎盤がきっちりくっつきすぎたみたいです。

まったく起き上がれない状態で、いまようやく病室に移動できました。
いままでずっと出産したままの場所でじっとさせられてました。
尻穴縫われて痛いです。
尻穴以外は私は元気で、うさも元気。

焼肉たべて、シャワーあびて、ちゃんと高速の交通量の少ない深夜に破水してくれて、
生まれてすぐに産声あげた以外は物静かにしているうさちゃんは、
想像以上におりこうさんだ。親バカですよ。


---

産後に死にかけてた直後なのによく使いにくいスマホでこんなもん打ったなあとか、
痛みを忘れるためとはいえ陣痛真っ最中によくいちばん上のmixi日記を冷静に打てたなあとか、
いくら忘れないように記録のためだとしても、バカだなあと改めて思います、自分に対して。
人間、気合いでなんとかなるもんだな。



というわけで出産時のは下。これは今書きました。
さすがにいくら私がバカでも、出産時にリアルタイムでは書けないので。



---

陣痛室と分娩室が同じ部屋になっているタイプで、
陣痛用のベッド?だかに寝て、うさちゃんが降りてくるまでひたすら陣痛に耐える。
鼻からスイカだとか言うけど、そんな痛みの酷いものではなく、
痛いは痛いんだけど、下痢のときになかなか出なくて激痛が腹に来る、アレの酷い版って感じ。
プラス、子供の頭が降りてくるので腰がとにかく痛い。その痛みが、生理痛のときの腰の痛みに似てる。
生理痛は出産時のための慣れ、というけど、ようやく意味がわかりましたよ。腰が痛いよアンタ。
今でも、下痢のときの痛みのたびに、出産時を思い出します。しぬ。

出産前には、いつ来るかわからないからとにかく寝ておけ、隙あらば寝ておけ、と
何度も言われましたが、確かに、いつ出産になるかわからないので、
私のように「さあこれから寝ようか」というときに破水になると、もうまったく眠れない。
体力も持たない。だから臨月に入ったら隙あらば寝ておくべきなのね。と。理解。
オロナミンとか焼肉の意味もここで理解できました。あれ、出産に備えての体力のためだわ。
食べると早く生まれる、とかそういうジンクスのためじゃないと思った。うん。

3時から8時くらいまで延々、とにかく頭がはっきり降りてくるまで陣痛。
陣痛と陣痛の合間に意識がなくなって寝てしまう。でまた痛みで目がさめるの繰り返し。
いきむとなにか出てきそうで、それがうさこちゃんなのかうんこちゃんなのかもうわからない。
息を吐いて、中途半端に頭が出てきそうなのを逃す、という感じ?
この間、ずーっと旦那がいて、呼吸法、みたいなのをそばでやってくれていました。
看護士さん、ほぼおらず。
呼吸法の練習どころか、知識さえゼロの状態だったんですが、それはなんとかなりました。

いつごろかわからないけど(旦那いわく8時ごろ)分娩台に乗ってくれと言われて、
足を広げなきゃならないんだけど、私はめっちゃくちゃ身体が固くて足が広がらない。
手で膝を抱えろと言われるんだけど、足が痛くて広がらないし、この後に及んでまだ
「嫌です!無理です!」とか叫ぶ。で、怒られながら無理矢理広げられる。泣。
臨月に入ったらスクワットしておけ、足を広げる練習をしておけ、の言葉の意味はここで理解。
先人の言葉には、ちゃんと全部意味があるんすね。

ここでようやく、いきみを逃すのをやめて、いきめと言われはじめる。
いつまでたってもうさちゃんの頭は出てこない。この時点で看護士さんふたりのみ。
なぜ出産時に陣痛があるのか、いきむとは何か、ですが、
強い強い痛みがあるからこそ、大きくふんばって子供を出すほどの力と勢いを得られるというか、
逆を言うと、痛みが弱い陣痛のときは力めないんですね。勢いが出ないというか。
めっちゃくちゃ痛い最中、「ああ、なるほどそういうことなのか!」などと納得。納得しつつ痛い。
10時前になってようやく専任医師が来る。たぶん、頭が見えてきたんだと思う。
めんどくさいので端折るけど、出産時、
「痔だからいきめない」「痔が痛いからもう嫌」「脱肛が」
ばっかり叫んでた。ここまで痔を連発した妊婦はそうそういまい。
子の無事とケツの穴と天秤にかけてどちらも選べない。ケツの穴に負けるうさちゃん。
おなか押されて、頭が出たらあとはスコンとうさちゃんが出たよ。
すぐに泣かないと危ないと聞いていたから、出てすぐにギャン泣きしてて、それがすごくほっとした。
目の前で「娘さんですよ」と見せられたけど、「へー」くらいにしか思わなかった。

それよりケツの穴はどうなっちまったんだ、と心配でした。
おしまい。


旦那は、陣痛のときから出産直前まで(私が立会い希望ではなかったので分娩直前で部屋を出された)
7時間ずーっと休まず手を握って呼吸法を一緒にやってくれ、水を飲ませてくれ、傍にいてくれ、
この人がいなかったら怖くて心細くて、無事な出産なんてまず無理だったんじゃないかと思ってます。
妊娠中から出産のときまでとにかく最善を尽くしてくれて、この人が旦那でよかったと心底思っています。
ありがとうございました。
posted by さくらこ at 00:45| 東京 ☀| Comment(15) | マタニティ記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。